神社の由緒
歴史と由緒、当社にまつわる豆知識。
About Hokoku shrine御祭神・社宝
御祭神について
当社は「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を御祭神とする神社です。ここ大阪城跡は、かの有名な石山合戦にて石山本願寺の宗徒が11年にも渡り、織田信長の猛攻に対抗し続けた場所です。さすがの信長も攻略をあきらめ、和睦を結ぶに至ったほど要害堅固な土地であったことから、秀吉公は天下を平定し居城を築くにあたってこの地を選んだという、御祭神に最も縁が深く奉祀するのに最適な神域とされています。
Hokoku Shrine was erected under the edict of Emperor Meiji and is dedicated to those three great benefactors of the Japanese nation, Toyotomi Hideyoshi, Toyotomi Hideyori, and Toyotomi Hidenaga.Sharing in the good fortune of the Toyotomi clan, Hokoku Shrine offers a charm of success to visitors coming to pray for ‘good luck and prosperity’. The statue at the shrine entrance is of ‘Toyotomi Hideyoshi’ and was crafted by the foremost Japanese sculptor, Shinya Nakamura.
社宝について
About history歴史について
明治
当神社は明治元年、明治天皇が大阪に行幸になった際、国家の為に大勲労のあった豊太閤を、この大阪の清浄な地に奉祀する様にと仰せ出されたので、種々熟議の結果、明治6年に京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営、大阪には別格官幣社豊國神社の別社として中之島字山崎の鼻(現在の大阪市北区中之島/中央公会堂の地点)に、明治13年に創立されました。
大正
大正元年中央公会堂建設のため、府立図書館の西方の公園内に移転し、大正10年に別社から独立して府社に列せられましたが、昭和20年終戦と共に社格が廃止されたため、宗教法人となり神社本庁所属の神社となりました。昭和10年頃より大阪市の発展に伴う市庁舎増築のため、隣接する当神社の移転の議が起こりましたが、大東亜戦争の開戦により移転の件は一時中止となりました。
昭和
その後昭和31年に大阪市より神社移転の要望が再開され、御祭神に縁のある大阪城内を移転地と決定し、昭和36年1月大阪市北区中之島より奉遷したのが現在の神域です。
Bits of knowledge豊國神社の豆知識
Knowledge.1秀吉公の銅像
彫刻家 中村晋也氏(平成19年文化勲章受賞)作、高さ:5.2m(像:3.2m、台座:2m)
明治36年に大阪城内に建立された豊臣秀吉公像は、その後当社旧境内地(大阪市北区中之島)に移され、長きに亘り市民が秀吉公を身近に感じることができていました。しかし戦局の激化と物資の不足を補うため昭和18年に供出され、その姿を見ることができなくなりました。以後も秀吉公像の再建を待ち望む声は途切れることなく、およそ60年の時を経て、平成19年、当社境内に再建されたのが現在の豊臣秀吉公像です。製作は日本彫刻界の第一人者で、日本芸術院会員・文化功労者の中村晋也氏によるもので、旧像の写真を元に、大きさや姿を踏襲し、一部現在の学問的な時代考証に矛盾する部分には修正を加え、文化的価値を併せ持つ旧像の復元となりました。